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干し物日和
最近気づいたのだけれど、どうやら干すということが好きらしい。
家にいる日にからっと晴れ上がっていると、いろんなものをどんどん洗濯して干したくなる。
家族みんなの布団からシーツやカバーをひっぺがして、洗濯機に放りこんで何度も回す。次に干す物はないかとあれこれと家中をさがして、クッションやぬいぐるみ、靴や、木製のこどもおもちゃ、はたまたときには引き出しをごっそり抜き出して日に当てたりもする。

普段日に当たらないものたちは、ちょっととまどったように白日に身をさらしている。それが庭やデッキにたくさんならんでいる様子はなかなかのものだ。

少し前のことだが、魚の干物をつくった。ちょうど髪を切りに出かけていて、帰りに電話をかけて家人になにか買い物はないかとたずねたら、魚を買ってきてという。こんなに天気のよい日だから、干物でもつくってみようと思い立ったらしい。そういえば、以前から干物作りにあこがれて(さらにその自作の干物を庭の七輪で焼く、というのがあこがれの全容のようだった)いたなと思い出し、駅前の魚屋で魚を選んで帰った。

干物の作り方を調べて、開いた魚を20パーセントの塩水に1時間ほど、漬けたのち水気を拭いてデッキに干した。魚屋の店先にあるときよりも、冷蔵庫の中にしまわれているときよりも堂々として立派に見える。午後から干してもうちょっとという感じだったので、よく朝まで干して朝ご飯に焼いた。
身がぎゅっとしまっていて、塩味の加減もちょうどよい。何よりもこれをわたしがこしらえたのだ、という高揚感がおいしくさせて、家族でわいわい食べた。

やってみたいなと思いながらも、やり方がよくわからなかったり、ちょっとの手間がハードルになってそのままにしていることが考えてみればたくさんあるように思うけど、実際はやってみることが一番だなと思う。わたしの干し物リストについに魚も加わった。

盆ざるは風情があります。夜はそのままにしておくのが心配だったので、アウトドア用品の干し物かごに移動しました。



 
かたまりのバタ
トーストには、ママレードが好きだ。
パンは8枚切りくらいの薄めのものを、少し焼き色を強めにかりっと焼いて、ふちのぎりぎりまでママレードを塗り広げるのが常だ。

ところが、どういうわけか今日はどうしようもなくバタが食べたくなった。
バタートースト、などどいう生易しい物でなくて、しっかりと固まりのバタである。
普段のように8枚切りのパンを少し強めにトーストする。そこに厚さ5ミリほどの分厚いバタをいくつも載せて食べる。

パンはカリカリしていて熱く、でもその上のバタはひんやり冷たいままだ。喉を滑るとき、バタはたちどころに風味だけ残して消えてゆき、バタはこうやって食べるのがいちばんおいしいと思う。この場合のパンは、バタを載せるための役割くらいで、いかにも食べているのはバタなのだ、という気持ちがする。

バタを載せたトーストをすいすいと2枚食べて、紅茶を飲んで、森茉莉のような気分になる。
誰かとともに食べるためのごはんもいいが、一人でそのときの気分ひとつで好きな物を用意するのは楽しい。バタをどんなに分厚く使っても誰にもとがめられない大人っていいものだ。

 
さつまいものつぶしたの
 料理というものは、気づかないうちに変遷していくものだ。家族の年齢や好みによって、一時はひんぱんに食卓に上ったのに、そういえばとんとご無沙汰ということがよくある。

上の子どもたちが中学生と小学生になった今は、お芋や豆の類いがそれで、小さい頃はかぼちゃの煮物や金時豆の炊いたのを飛び跳ねて喜んでいたのが、このごろは好むのはわたしだけになってしまった。ことに中学生の上の子は嗜好もどんどん変化するころなのか、じゃがいもは以前はどう料理しても大好物だったのが、オーブンで焼いたのやコロッケは大好きで、肉じゃがなどはまあまあ、ポテトサラダはそうでもない、というように好みにもバリエーションが出てきた。

しかし、そんななかでも昔も今も作ったらかならず子どもたち(子どもたち限定で、夫はそうでもない)が大喜びして、どっちが多く食べただのけんかまでしながら食べるのが、さつまいものつぶしたのだ。

これはわたしの実家で小さいころから食卓に上っていた料理で、実家では名前というほどの呼び名はなく、さつまいものつぶしたの、などと呼ばれていたように思う。他のおかずと並んで、ごはんどきに食卓に上っていたものの、考えてみればおやつの範疇に入りそうな料理である。

作り方は簡単。さつまいもは皮を剥き、輪切りにして(太ければいちょうに)水にさらす。やわらかくなるまでゆでたらお湯を切ってつぶし、砂糖とひとつまみの塩で味をつけ、牛乳を加えてぽってりとするくらいの固さにして弱火でゆっくり火を通す。最後にバタをひとかけ入れて、混ぜたらできあがり。

今朝の食卓にこのさつまいものつぶしたのを載せた。離乳食をはじめた一番下の子は、味をつけるまえのさつまいものつぶしたのを食べ、真ん中の子は鮭そぼろとさつまいもをおかずにご飯を3膳平らげた。朝練の中学生は、さつまいものつぶしたのに好物の唐揚げの入ったお弁当を見て、「お」と一声発して出かけて行った。


海苔弁
このところ続けて作っているのが、海苔弁。
おかずはちょっとしたものだけでいいな、という気分の日に
白いご飯だけではさみしいから海苔弁にしよう、と作ったら気に入って
それから続けて作っている。

わたしのお弁当箱に、かつをぶしと海苔をだんだんにつめていると
起きてきた息子が、「あ、海苔弁いいなあ」というので、
もうつめてあった息子のお弁当箱のごはんの上にかつをぶしと海苔を敷いて
簡易海苔弁にする。

毎日部活で10キロも走っているというから、ごはんはとにかくぎっしりと、と
思っていたが、海苔弁はご飯の量はちょっと少なくなるけれど
ボリュームがでていいという。
好評につき、今日は家族みんなそろって海苔弁にした。
ひとりだけ給食でお弁当のいらない真ん中の子には、
あさごはんに海苔弁を作った。
みんなと同じ海苔弁を満足そうに食べていた。

向田邦子のエッセイに、旅から帰ってきて一番に食べたくなって
海苔弁を作った、というのがあった。
それはたしか、よく切れる包丁でねぎを刻んでさらしたのと、
焼き海苔、醤油をまぶしたかつをぶしだったと思うが、
わたしのはご飯をうすく敷いた上に、かつをぶしをまぶし、
いろは坂のように醤油を垂らし、海苔を敷き詰めるというのを
二度ほど繰り返して作る。

ご飯に海苔、かつをぶし、それに醤油があれば
もうそれはたいしたごちそうになるな、というおいしさだ。

今日の海苔弁には、きんぴらごぼうとゆかり卵、肉団子の甘酢あんかけも入れた。





夏のたべもの
 これを食べたくなったら「夏」が来た、と
思うものがいくつかある。

わらびもちとか、精進揚げと冷やしうどんとか、トマトサルサなど。

週末に買い物に行ったら、おいしそうな中玉の真っ赤なトマトが
たっぷり十数個は入って300円足らずで売られていた。
梅雨入りしたけれどあまり雨が降らず、蒸し暑い日が続いている。
この気候にチップスとフレッシュトマトのサルサはぴったりだ。

よく切れる包丁でトマトを刻み、コリアンダー、青ねぎもみじん切りにする。
酢漬けのパラペーニョも刻んだらボウルで混ぜ合わせ、
レモンをきゅっと絞って、塩で味をつける。

メキシコに住んでいる弟から以前もらった、きれいな模様が描かれた
赤い大皿にたっぷりのコーンチップスをざざっとあけ、
休日のお昼ご飯は好きなだけサルサを楽しむ。

開け放した窓から吹き込む風がきもちよく、
ああもう夏になるんだなと思う。

それから3日も明けずまたサルサを食べたくなって、
今度はアボカドのワカモレも一緒に作りながら
もう一度夏がきた、と思う。

再び、お弁当
たぶん、慌ただしくて時間もきもちも余裕に欠いていたのだろう。
しばらくの間、お弁当から遠ざかっていた。

中学3年の上の子は、毎日お弁当持参だから
平日は必ず作っていたし、ついでだから夫の分もこしらえていたが、
自分の分はしばらく作らなかった。

生まれたばかりの子がいる生活で、
毎日必ずお弁当を作らなくてはいけない、というのは
なかなかにちょっとしたプレッシャーで、さらに毎朝部活の朝練があるから
6時半頃には作り終えなくてはいけないからなおのこと。

だからお弁当は「なんとか毎朝作り上げる」というのが精一杯で、
その精一杯作ったものをおひるま一人でぼそぼそ食べる気分にならなかったのだ。
それよりもお茶を沸かして、トーストにジャムを塗った簡素なごはんの方が
はるかにほっとおいしかった。

でもふた月もするとさすがに飽きてきて、このところ再び自分の分も
お弁当を作っている。
ちいさな子どもの加わった暮らしにも次第にリズムができてきて、
それに慣れてきたというのもあるだろう。

今日のお弁当のおかずは、焼き鮭、絹さやと桜えびの卵とじ、きゃらぶき。
中学生の子にはさらにチキンナゲットとトマトと若布の和え物を入れた。
朝のお茶を淹れるとき、ちいさな魔法瓶についでに入れておいた
ジャスミン茶と一緒に、いただきます。


バークレーのピーナツバター
おいしそうな殻付き落花生をいただいた。
もちろん、そのまま食べるのもいいけれど
ふと思いついてピーナツバターにしてみることにした。

ピーナツバターと聞いてまっさきに思い出すのが、
かつて友人が住んでいたバークレーのすてきなスーパーマーケットのそれ。
おおきなガラスの入れ物にぎっちりとピーナツやアーモンドが入っていて、
入れ物の下の方についているレバーを押すと、
中のナッツがペーストになって出てくるというマシンがあった。

買いたい人は備え付けの容器を購入してそこに入れてるか、
あるいは自宅から空き瓶なりを持参して好きなだけそこにバターを入れて、
レジで重さを量ってもらってお会計する。

ピーナツバターというと、濃い黄土色の絵の具そのままのような質感で
味はピーナツ風味の甘いペースト、という概念しかなかったから、
友人宅でそこのアーモンドバターをパンに塗って、
その上にジャムをぼっちり落としたもののおいしさにびっくりした。
家族のおみやげにと、友人に空き容器をもらって自分ではかなりたくさん
買って帰ったつもりが、あまりのおいしさにひと月足らずでなくなってしまった。

朝のテーブルで、子どもといっしょにもくもくと落花生の殻を剥く。
茶色のうす皮のところも残して剥いて、30分ほどかけてちいさなボウル一杯になる。

剥いた落花生と塩をぽっちり入れて、フードプロセッサにかける。
初めは派手な音を立てて、なかで落花生の粒が盛大にはねていたのが、
次第に粉になって、だんだんねっとりとしてくる。
ねっとりしたのがとろりとして、あっというまに出来上がる。

トーストしたパンに作り立てのピーナツバターを塗って、
ラズベリージャムを上にとろりと落とす。
ピーナツの香ばしいことと言ったら、ピーナツをそのまま食べるより
はるかにピーナツらしい味と香りが楽しめる。
このおいしさはたしかにバークレーで食べたそれと一緒だ、とうれしくなる。

あのおいしさは既に幻想めいた記憶になっていたくらいだったから、
それがいつでもナッツさえあれば自分で作れるかと思うとうれしい。

天気のいい5月の朝に、庭のみどりを眺めながら
おいしいピーナツバターつきパンを食べる幸せはなかなかのものだ。






仕込み中
 保存食作りがいちばん楽しいのは、作っている本人。
自分の手でおいしいものを作るのは楽しい。
それが時間をかけて後々まで楽しめるというのだから、なおさらのこと。

保存食はどうやら作りたい時期というのがあって、
春の今頃はちょうどその季節だ。

少し前に買った保存食作りの本に載っていた
ベリーシロップを週末に仕込んだ。
いちごとラズベリー、ブルーベリーに砂糖をだんだんに壜に重ね入れて、
一日一度混ぜて1週間かけて作るもの。

みるみるうちに果物から水分と香りがしみだして、
見事なシロップになっていく様はすてきな光景だ。
朝毎に混ぜるたび、むせかえるような果物のかおりにうっとりしている。







干し物の日々
 週末の嵐のような天気が明けて、
あたたかくて穏やかないい日和が続いている。

一日家にいると、そんな日差しを最大限活かしたいという気持ちが
むくむくと湧いてきてしまって、あらゆるものを干している。
ちょうど冬物の衣類を片付ける頃だから、寒さが多少戻っても
もう着ないだろうという分厚いウールやカシミアのものから洗う。

子どもたちの運動靴(油断すると空豆みたいな匂いを発してくる)も
ブラシでごしごしと洗い、羽布団も洗う。
その間に、布団や枕も干して裏返し、デッキはさながら10人家族並みの
洗濯物でいっぱいになる。

洗濯物が一段落ついたら、まだまだ日が当たっているデッキに
何か干してみたくてしかたなくなり、
週末にたくさん買ったちいさなトマトを干してみる。

半分にカットして、天板に並べた上に塩をぱらぱら振りかける。
数時間できゅっとひとまわりちいさくなって、
ひとつつまんでみたら、そのままだとやや味の薄かったトマトが
ぐっとおいしくなっている。

3日間日に当てると、自家製のドライトマトがおいしくできあがるはず。
ピザにパスタにおつまみに、さてどう使おうか。




ふきのとう
庭でバドミントンをしていた夫とこどもが、なにやら色めきたっている。
呼ばれるままに出てみると、庭の隅にふきのとうを見つけたという。

昨年引っ越した我が家は、以前はおばあさんが長いこと住まっていたと聞いている。
わたしたちがその場所を見たときは、すでに家は取り壊されて更地になっていた。
木もたくさん植えられていたみたいだったが、切り倒されたあとばかり。

それでも、土地の隅の方にひょろひょろとふきの葉っぱが出ていたり
ほうせんかが咲きでていたり、水仙の緑も残っていて
たくさんの植物が丹精されていた様子がうかがえる。

台所からざるをもってきて、摘んでもらうと
大小のふきのとうがあわせて十ばかりはあったろうか。

そうだ、こういう香りだったという香りがほのぼの立ち上って、
やわらかいみどり色がざるの中にひしめいている。
産毛の生えたような肌えを傷めないように、
そっと洗って、根元の方の土を落とす。

半分はすぐにさっと天ぷらに。
細かな塩をちょっと添えて、夕飯前のつまみにする。
ビールを片手においしそうに揚げたての天ぷらを食べている夫の姿は
いかにもお休みの日の嬉しい感じがして、幸せな気持ちでいっぱいになる。

残りのふきのとうは細かく刻んで、ふきみそに。
フライパンに油をあたためて、じゃっとふきのとうを炒めたら
お砂糖とみりん、味噌を入れて炒め合わせて、
最後に少しのにんにくのすりおろしを加えて風味をよくする。

これは琺瑯のちいさな容器に保存して、しばらくの楽しみにする。
手塩皿に入れて朝ご飯の食卓に、お弁当のご飯の上に、
おにぎりの具に、そのままお酒のお供に。

一週間ほどでなくなってしまったふきのとうの楽しみは、
わたしが毎日寝起きして、ごはんをこしらえて、洗濯をして暮らしている
この地面から頂いたのだと思うと、これまでとは一層ちがう心持ちがした。

わたしがこの場所に来るよりずっと前から、
ひっそりと命をつないでいたものを今はわたしが頂き、
そしてこのあともどんなかたちか分からないけれどその営みが続くのだ、
いや、続いてほしいと思う。

そんなことを考えるではなしに、ぼんやりと思いながら
最後のふきみそがなくなった後の器を洗った。