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星占い
朝のニュース情報番組で、今日の占いをやるようになったのはいつからなのだろう。

普段の朝はテレビでニュースを見る習慣がないが、出張の時には物寂しいので朝もテレビをつけっぱなしにしていて、気づくと今日の占いのコーナーをやっている。これから仕事、というときにみる運勢はやや気になってつい見てしまう。見てしまうが、最下位だったり仕事運が悪かったりするとがっかりするので本当は見ない方がいいかもしれない。

前にやはり出張先でみた星占いは、全体運はそう悪くなかったものの「浪費に注意」というのが妙に気になった。その日は一日夕方まで仕事の予定が入っており、そのあとはすぐに帰る予定だったから浪費する暇もなさそうだったが、気をつけねば、と心引き締めた。

しかし、仕事のほんの少しの合間に入った書店でこれは、という本を3冊も見つけてしまった。なかでもそのうちの1冊はちょっと高価だったから一度は踵を返して店を出た。しかし、もうこれを手にすることができないかも、と思うと駆け戻って買ってしまった。
ただでさえ重い荷物にハードカバーの本3冊(しかもそのうち一つは大判)である。スーツケースがずっしり重くて、やや後悔する。

次に、乗り換え駅に入る手前に百貨店があった。抜けて駅に向かおうと歩いていたら、靴下売り場がある。実はわたしは靴下を買うのが大好きで、どんな靴下でも目にするとじっと見てしまう。じっと見ていたら、店員さんが寄ってきて、いろいろと説明してくれる。説明を聞きながら、つい質問をしてしまう。質問の答えを聞いて、一番よさそうなものを選んでしまった。

お会計を待ちながら、そうだ今日は浪費に注意しなければならなかったと思い出し、思い出したが支払いを済ませた。

〇星占ひ「浪費に注意せよ」とあり靴下注意深くあがなふ  美衣
梅雨とあじさい
ついに梅雨入りである。わたしは夏の暑さが苦手なので、春がもう終わろうという頃からすでに夏へのカウントダウンが始まっているような気がして、恐れおののいてしまう。梅雨入りとはもはや夏への助走であり、しかもそれ自体が湿気ぽくて、洗濯物は乾かないときているから憂鬱である。

梅雨時期の花といえば、あじさい。あじさいは子どものころはあまり好きでなかった。ピンクのか青いのか、あるいはがくあじさいくらいしかそのころの種類はなかった。ピンクのも青のも花がいやに固まりすぎているように思ったし、あの厚くて大判な葉も情緒がかけているように感じた。その割に植えられているのは小暗い庭の隅のような、陰気な場所が多くてさみしい気持ちがするのだ。

今はすみだの花火とか、柏葉あじさいとか(これは正確にはあじさいではないと聞いたが)種類が多くて、あじさいに子どものころのような小暗い感じがなくなった。色合いも実に多彩である。

義母からあじさいの切り花をもらった。種類はわからないが、淡い紫いろで小さな円い部分と星のような部分があってとても愛らしい。ガラスの水差しに飾って、食卓に置いている。蒸し暑い昼にも、雨の降りやまない夜にも、そこだけしん、と涼やかな様子である。

〇あじさゐはあの人のはな丘越へて会ひに行きしあの場所のはな 美衣

 
スターバックスと坊さん
スターバックスに坊さんがいた。カウンター席にくつろいだ様子で腰を掛けて、飲みもの片手にノートパソコンを開いている。20代とおぼしい若者で、組んだ脚の足袋の白さが目にしみる。

わたしは少し離れた席で坊さんの様子が気になって、ときどき眺めてしまう。店内の他のお客さんはまったく目に入らないようで、笑いあったり、手元の本に夢中になっている。

電車に乗ったとき、道を歩いているとき、その日のスターバックスのような場所で、わたしはおそらくその時、その場所でしかすれ違わないであろう人を眺めるのが好きだ。どこに住んでいて、どんな仕事をしているのか、家族は何人か、どんな食べ物が好きか、これまでどんな人生だったのか。そんなことを考えると知らない人々はただの風景でなく、生き生きとしたひとりの人として目の前に存在してくる。

わたしが想像した、スターバックスの坊さんの人生。子どもの頃から野球が好きで、甲子園を目指してきた。高校の時肩を壊してしまったが、大学でもずっと好きな野球は続けてきた。商社に就職したが、次第に仕事がつまらなくなってしまった。そんなある日に近所の寺の住職に、坊主にならんかとすすめられた。坊さんなんて、と一笑に付したが何日たってもそのことが頭からはなれなくなってとうとうお坊さんになった。

坊さんスタイルもファッションとして結構気に入っている。facebookで坊さんの毎日を書き込むのも面白いと評判だ。母親は商社をやめたことを今でも残念がるが、妹は面白がっている。実家に犬が一匹。ねぎとサーモンの刺身が苦手。以上。

毎日の生活には、面白いことがたくさんある。わたしは面白いことをみつけては、面白がって日々を過ごしたいと思う。死ぬ時まで面白がっていたい。

〇坊さんがチャイ飲む春のスタバかな 美衣

 
シロツメクサの庭
庭でシロツメクサを育ている。といっても種や苗を植えたわけでなく、肥料や水をやっているわけでもないのだが。

今の家に越してきて3年ばかりだが、ここの土地はやたら地盤がしっかりした岩盤質で、地面が固いうえに石ころがゴロゴロしていて家が建っていない部分は(つまりは庭と呼ばれるところだ)テキサスの荒れ地のようだった。そのままで一冬を越したが、春になったら俄然何かを植えたくなった。そのころ本で見かけたライラックと小手毬が咲き乱れた庭にあこがれて苗木を植え、地面には芝を植えた。

芝と言ってもシート状のものを敷き詰めるのは予算をはるかに超えていたので、夫が種から植えた。土の良くない場所の上、芝は想像以上に繊細な植物らしく、固い地面を掘り起こし、石だらけの土をふるいにかけて石をのぞき土をならすという作業ははたで見ていても気が遠くなるほどの労働だった。

そのかいあってすくすくと芝は成長したが、吟味して選らんだ種類は冬に強い代わりに夏の暑さに弱かったらしく、枯れ絶えてしまった。生来いい加減なので、そのままなんとなくほっておいたところにどこからか飛んできた種でシロツメクサが生えた。
ほう、とそのままにしていると範囲を広げ、飛び地して増えてきた。今のところは直径1メートルくらいの面積のものが3か所くらいになっている。初夏の日差しを受けて、シロツメクサの葉はますます緑を濃くして茂っている。

茂みに手を差し入れると、そこはひんやり冷えていてしっとりと湿り気がある。背中から倒れこむとふかぶかと体は緑に埋まり、日を浴びているからだの表はあたたかい。

〇背中かられんげ畑に倒れこむあの感覚の日差しに出会う  前田康子「黄あやめの頃」

子どもの頃住んでいた町の川沿いに公団があった。公団の敷地の端っこに小さな空き地があった。今思えばそこは使い道なく余ったスペースなのだが三角形の空き地で、わたしたちはそこを「三角公園」と呼んでいた。公園と言っても遊具などなく、雑草の生い茂るただの空き地だ。このくらいのころになると三角公園はシロツメクサに覆われて、わたしは夢中で花飾りをつくった。
花飾りに使うシロツメクサの花は、茎をなるべく長くとらないといけない。短いと丈夫できれいな輪飾りができないから。

地面ぎりぎりのところで茎を取ろうとすると、茂った葉のなかに手を差し入れる。7歳のわたしの手に伝わったものと、今のわたしの手が感じるものがおんなじことが面白く不思議だ。

わたしの今のひそかな計画は、庭の地面をシロツメクサで覆うこと、その緑の上を転がってみることだ。
 
世界の裏側
里山や竹群がなくなっているという。昭和50年代生まれのわたしの小さなころには、周りにはもはや里山も竹群もなかった。手入れされた竹群というものはとてもきれいなものなのだそうだ。わたしの記憶にある竹の生えているイメージは、手入れされていない雑木林であり、竹群とはまったく違うものだという。

里山や竹群がかつての日本人の原風景だとすると、わたしの原風景は裏庭だ。4歳ころから8年くらい住んでいた借家の裏庭ーそこは古くて、便所の床が崩れていたり、洗面台の前が始終湿っていたり(たぶん水漏れしていたのだろう)した。ーがずっとわたしの根っこにあるように思う。

家の正面に粗末な門があり、3段くらいの石段があった。そこを上ると右手に沈丁花や笹がこまごまと植わっている。左手は小さな花壇くらいのわずかな庭があった。そのほかに、家の裏手には日の当たらない裏庭があった。裏庭には出入口の脇に山椒があって、このくらいの季節にはあげは蝶の幼虫がたくさんついていて気味悪かった。

右手の植木のわずかな部分を抜けると家の脇を通ることができる。ブロック塀に囲まれて、子ども一人横になってやっと通れるくらいの狭さだ。ここの通り道が子どものころのわたしにとって世界の裏側のような場所だった。雑草が生い茂り、上からしか光が差し込まない果てしないくらい長い通路(本当はほんのわずかな長さだったと思う)を抜けて裏庭に出ると、別の世界に出たように思えた。

子どもには、こういう世界の裏側のような場所がきっと必要なのだと思う。わっ、と驚いたり、不気味だったり、心弾んだり、やわらかかったり、イガイガしたり、じゃりじゃりしたり。五感を満たすものと出会えること、自分の存在をはるかに超えた大いなるものを感じて畏怖すること。すべてのことはここから学べたと言ったら言い過ぎだろうか。

思えば、大人とは説明のできる場所から場所へ移動をする毎日だ。子どものころ、わけのわからないところでわけのわからない時間を過ごせてわたしは幸せだったと思う。今の子どもたちにも、世界の裏側はまだ残っているだろうか。

〇我が生まれ育ちゆくころ見ざりしよ大和の国の里山竹群   美衣
 
朝のひとこま
どこの家も一緒だろうが、朝はとにかく忙しい。わたしはだいたい5時に起きて、お弁当と朝ご飯の支度を始める。そんな最中にも起きてきた末っ子を着替えさせたり、体操服が見つからないーなどと騒ぎだした子に声をかけたり、いつまでも起きてこない長男に「もう起きなさいよ!」と起こしにいったりして、慌ただしいことこの上ない。

6時には家族そろって朝ご飯にして、食べ終えたら急いで食器の片付けと洗濯を始める。高校生と小学生が出かけていくのが、7時ちょっと過ぎくらい。末っ子の保育園の連絡帳を書いたり、生ごみをコンポストに埋めにいったり、子どもたちの靴下は洗濯機に入れる前に洗濯板でこすったりと細かな用事が次々あるものだから、この時間帯は気分的には家中を駆け回りながら用事をこなしていっている。

だからちょっとでも手を留めるのが惜しいのだが、必ずすることにしているのが、それぞれの子が家を出ていくときに玄関の外まで出て見送ることだ。

玄関でまず「いってらっしゃい!」を言ってから、下の道路を下っていって姿が見えなくなるまで手を振る。自分も見送りは必ずすると決めている風の1歳の末っ子を抱っこして二人で手を振る。今朝は「いい一日をね!」と声をかけると「母さんもね!」と返ってきた。高校生の長男は照れくさいからちいさく手を振りながらバイバイをして走って坂道を下って行く。

姿が見えなくなったら「もう行っちゃったね」と腕の中の子に呟いて、急いで再び家の中に戻って朝の家事を再開するのだ。


 
あたらしい急須
あたらしい急須を買った。
毎朝のお茶を飲んだ後に、急須を片付けていてどこをどうしたか持ち手のところがぽきりと取れてしまった。4、5日は小鍋で湯を沸かしてそこにお茶っ葉を入れて、茶こしで漉してしのいでいたが、いそいそとあたらしいものを購いに出かけた。

行くのは迷いなくおとなり鎌倉のもやい工藝だ。初めて行ったのは10年以上も前だと思うが、初めて行ったときにはあまりに好きな物がたくさんあって、その日の晩に熱を出した。
10年かけて少しずつ好みの物が集まり、今では家族のお茶碗も、新年にあたらしくする漆のお箸もみんなここのものになった。

せっかちで粗忽なせいで皿や茶碗の類いを割るのはしょっちゅうで、割ってしまうと残念に思うのだが、また気持ち新たにつぎの物を選ぶのはやはりたのしいものだ。

大降りの土瓶という風体の物、華奢なもちての物、しずかな店内をゆっくり巡りながら眺めて、最後の最後に好みの物を見つけた。やや青みがかったうすい灰色のもので、急須というよりもポットという風情だ。昔読んだ向田邦子のエッセイに「見た瞬間に首筋がすうっとしたら、誰がなんと言おうとわたしにとっていいものだ」というようなことがあったが、この急須をみたら確かに体のまんなかの当たりがすうっとした。

ぶつけてしまいそうなデザインの注ぎ口や、決して洗いやすそうではない大きさ、茶殻の始末がしにくそうだといういくつもの難点が頭をかすめたものの、迷いなくこれに決める。
丹波の方のもので、年末に倒れてしまって実はこれが最後の一つの作品だと聞いた。

台所のよい場所において料理をしながら眺め、いつもよりゆっくりお茶を入れて楽しんでいる。




 
独楽のような
日々の中に掬い上げるいくつかは絶えずあるように思うが、時間は速度を増す独楽のように過ぎて行くようだ。あっという間にひと月、一週間が経っている。

夏の余力でいろんなことをまわしているような気がして、そうは言ってももう11月になろうとしているのだからいい加減違うふうに持って行かねばと思う。

あたらしいコートを買った。
赤ん坊がはじめての熱を出した。
庭のライラックの病気を突き止めて、薬を注文した。
落ち葉掃きをした。
長男の合唱発表会に行く。
サイズ95(!)のおむつカバーを注文した。
洗濯機の掃除をした。

このところきちんと覚えていたつもりの予定をすっぽり忘れてしまうことがたびたびあって、ほんとうにきれいに忘れている物だから軽く落ち込む。手帖にはきちんと書き留めていて、その日の朝には確認しているのに、数時間で忘れ去ってしまっているのだから自分でもびっくりする。長男の「年じゃない?」の軽口を、ふふふ、と聞き流して、こういうときにはここ最近やったこと、起こったことを羅列する。上滑りしているようで、いろんなことをやっていて、いろんなことが起こっているだけなのかもしれない。
 
妹のケーキ
妹からケーキが届いた。お手製のそれは、りんごとブルーベリーが焼き込んであって、箱をひらいたときにうつくしさと豪華さに子どもたちの歓声が上がった。

家事炊事の類をしている姿を目にしたことがなかった彼女が、突如お菓子作りに凝りだしたと聞いたのが一年ほど前だったろうか。電話口で母と、変わったこともあるものだと言い合ったが、一年ほどの間にいろんなお菓子を焼き、途中からは料理も作り出したらしい。妹曰く、「できるけど今までやらなかっただけ」。これは彼女の口癖で、何かというと「できるけどやらないだけよ」というが、たいていのそれとは違って、妹の場合はやってみるとできてしまうあたりが小憎らしい。

小さい頃から鷹揚で、自信たっぷりで、こわいものなしで、めんどくさがりで、マイペースという妹の立ち具合を、わたしは子どもの自分から羨望していたところがある。8つも違うから、物心がついたときには、わたしはお姉さんで、家族からかわいがられるだけの存在の妹がいた。
ぎりぎりくやしかったり、逆立ちしたってできないなと感心したり、気楽でいいなと思ってみたりしていた。

年月を経ると、もうすこし離れたところから物が見えてくる。

鷹揚さは父母の仕事に忙殺される日々のなかで発揮せずにはいられなかったろうし、こわいものなしや自信たっぷり過ぎる言動は自分がたしなめられることでみんなの均衡を保ってくれていたろう。めんどくさがりで家の手伝いも長女のわたしばかりやっている気分でいたが、大病をしいろんなことに自信なんて持てないときにしゃかりきになって家族の夕ご飯係をすることで居場所をもらっていたのはわたしの方だった。

夕ご飯のあとのデザートに、家族そろって妹のケーキを切り分ける。さみしがりやで怖がりで、人一倍家族思いで、細やかだったんだよね、と呟きながらきれいな気泡が入ってしっかり焼き上げられたケーキを、盛大に「おいしいね、おいしいね」といいながらゆっくり食べた。
草むしり
 赤ん坊との暮らしは、とかく細切れの時間の集まりだ。
洗濯物を干し終えるまでに何度も家の中に呼び戻され、運動靴を両足分いっぺんに洗えない、書こうと思って書きかけの手紙は1週間もそのまま、などということが毎日のすべてだ。その合間に何度ものおむつかえと授乳があるのだから、めまぐるしいことこの上ない。

小さな家のなかを赤ん坊を抱いてうろうろしていると、なんだか自分の体のなかでちいさなボールをくるくるまわしているだけのような気持ちになってくる。そんなときはデッキにベビーチェアを持ち出して、子どもを座らせてから草むしりをすることにしている。

土のある場所に雑草の生えてくる速度の速いことと言ったら驚くばかりで、あっという間に庭は雑草の天下になってしまう。素早く園芸用てぶくろをはめて、一心に草をむしる。
草はむしりだすと次から次へとむしるべき次の草が目に飛び込んできて、ただただ心も体も目の前の草に集中する。

椅子に座った子どもも、草をむしるわたしを眺めたり、どことはなしに景色に目をやったりしながらしばらくは外を楽しんでいる。首筋にむっとした草いきれを感じ、汗ばんでくる頃、むしった草はちょっとした小山をなしている。

ふん、ふん、という声を赤ん坊が上げ始め、わたしは腰をのばして抜いた草を袋にまとめる。
時間にしてほんの15分くらいだろうか。最近のこの時間は、一人を楽しむ時間、一人を確かめる時間になっている。