<< July 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 蟻たちの夜 | main | 鞦韆 >>
あたたかいもの、かぼちゃのスープ
肌寒くなった。肌寒いとは、いい言葉だと思う。ただの寒いとは違って、初冬のこの空気の感じがよくでている。

寒いのが好きというわけでもないが、寒い日にあたたかいものがあると幸せな気分がして、その気分が好きだ。例えば、ソファにかけている毛布。10年くらい家族みんなが大好きだった深いグリンの格子模様の毛布が破れてしまって、その次に選んだ薄いグレイとベージュの毛布をとても気に入っている。ふわふわの毛がだまになって部屋にころがるので、まるで猫を飼っているような気持になるのも、それが不満な家族の前では言えないが、いいと思っている。この毛布のあたたかさはもう別格で、毛布に当たっている体の表面ではなくて、体の芯のほうからほかほかしてくる。

かぼちゃのスープを作った。4分の1サイズのかぼちゃを小さめに切って、薄切りにした玉ねぎとバターで炒める。ひたひたの水、月桂樹の葉と、コンソメキューブを入れて柔らかくなるまで煮たら、後はフードプロセッサーにかけて鍋に戻し、牛乳でのばす。ほんのぽっちりの塩と胡椒を加えて手軽なポタージュスープができた。

かぼちゃもよかったし、牛乳でののばし加減も完璧だったからか、その日のスープは上等のおいしさで、ポタージュ派でない夫や長男も(彼らはコンソメ派である)よろこんで食べていた。ポタージュというのは、その質量といい、非透明さ(言葉としては不透明だろうが、この場合はこのほうがしっくりくるように思う)、温度の保ちよう、またなによりポタージュという韻律が冬のあたたかさという幸せを象徴している。
 
久しぶりに、末の子をおんぶした。3番目の子というのは、大勢の中で育つからなのか、あるいは親の適当さによるのか、自分一人で機嫌よくしていることが多いので、少し大きくなるとおんぶすることもぐっと減った。その日は一日上の子の用事につきあって外出していたので夕方になって疲れておんぶをせがんできたのだ。

おんぶをしながら夕飯の支度をしていると、後ろで子どもが、いつもの高さとは違う世界を楽しんでいる様子が伝わってくる。まな板の上の野菜を指さしたり、台所の窓に映るおんぶされた自分の姿を見て声を立てて笑っている。背中がじんわりとあたたかく、湿った重さが体に心地よい。数限りないように果てしないように思えたこういった場面が、思い返してみてはじめてほんの一時の輝かしい日々なのだなと三人目の子どもで実感している。

○皿洗ふ背中でをさなご眠りをり「雨降りくまの子」三度聴きつつ  美衣