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シロツメクサの庭
庭でシロツメクサを育ている。といっても種や苗を植えたわけでなく、肥料や水をやっているわけでもないのだが。

今の家に越してきて3年ばかりだが、ここの土地はやたら地盤がしっかりした岩盤質で、地面が固いうえに石ころがゴロゴロしていて家が建っていない部分は(つまりは庭と呼ばれるところだ)テキサスの荒れ地のようだった。そのままで一冬を越したが、春になったら俄然何かを植えたくなった。そのころ本で見かけたライラックと小手毬が咲き乱れた庭にあこがれて苗木を植え、地面には芝を植えた。

芝と言ってもシート状のものを敷き詰めるのは予算をはるかに超えていたので、夫が種から植えた。土の良くない場所の上、芝は想像以上に繊細な植物らしく、固い地面を掘り起こし、石だらけの土をふるいにかけて石をのぞき土をならすという作業ははたで見ていても気が遠くなるほどの労働だった。

そのかいあってすくすくと芝は成長したが、吟味して選らんだ種類は冬に強い代わりに夏の暑さに弱かったらしく、枯れ絶えてしまった。生来いい加減なので、そのままなんとなくほっておいたところにどこからか飛んできた種でシロツメクサが生えた。
ほう、とそのままにしていると範囲を広げ、飛び地して増えてきた。今のところは直径1メートルくらいの面積のものが3か所くらいになっている。初夏の日差しを受けて、シロツメクサの葉はますます緑を濃くして茂っている。

茂みに手を差し入れると、そこはひんやり冷えていてしっとりと湿り気がある。背中から倒れこむとふかぶかと体は緑に埋まり、日を浴びているからだの表はあたたかい。

〇背中かられんげ畑に倒れこむあの感覚の日差しに出会う  前田康子「黄あやめの頃」

子どもの頃住んでいた町の川沿いに公団があった。公団の敷地の端っこに小さな空き地があった。今思えばそこは使い道なく余ったスペースなのだが三角形の空き地で、わたしたちはそこを「三角公園」と呼んでいた。公園と言っても遊具などなく、雑草の生い茂るただの空き地だ。このくらいのころになると三角公園はシロツメクサに覆われて、わたしは夢中で花飾りをつくった。
花飾りに使うシロツメクサの花は、茎をなるべく長くとらないといけない。短いと丈夫できれいな輪飾りができないから。

地面ぎりぎりのところで茎を取ろうとすると、茂った葉のなかに手を差し入れる。7歳のわたしの手に伝わったものと、今のわたしの手が感じるものがおんなじことが面白く不思議だ。

わたしの今のひそかな計画は、庭の地面をシロツメクサで覆うこと、その緑の上を転がってみることだ。