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あさがおとあさがほ
小学校一年生の子が持ち帰ったあさがおが、毎朝花を咲かせている。

この時期、通りを歩くと同じ青いプラスティックのあさがおの鉢が置かれた家が散見され、ああここにも小学一年生の子がいるのだなと思う。
あさがおは小学校に入って一番先に理科(今は生活科だが)で育てる植物であり、花そのものの印象の前に小学校の印象がついてしまっていた。
花そのものをいいな、と思うようになったのはこの夏が初めてのように思う。

この夏は子どもの鉢の他に、台所の窓の外にもあさがおを植えた。
土も堅いところで、いかにも栄養がなさそうで育つかと心配したが、庭のフェンスを伝ってぐんぐん伸び、毎朝4、5輪の花を咲かせている。まだ蝉が鳴き出す前の朝早くに、ゆらりとひらいたあさがおは夏らしくておおどかでいいものだ。

ここ数年夏になると河野裕子さんの遺歌集となった「蝉声」を読みたくなる。
そのなかに「ゆめあさがほ」という十首の連作があり、これを読みながら思わず窓の外の大輪のうす紫のあさがおに目をやる。

小学校のあさがおの次にわたしが出会ったのは、歌に読まれた「あさがほ」だった。プラスティックの鉢やら観察日誌、夏休みの「あさがお」と短歌のなかの「あさがほ」はわたしのなかで似て非なる遠いものだったが、ようやくひとつに重なったように思う。

あさがおは、はかなげな風情がする。子のプラスティックの鉢のあさがおも、この夏は一度きりなのだとちゃんと知っているように思える。流れていく時間は、育つ時間も、終わりゆく時間もなべてみな切ない。

●来年もこの花たちに会へるやうに一晩一晩ふかく眠らねば

●大事なのはお母さんでゐること山茶花よご飯を作りお帰りと言ふ

河野裕子「蝉声」より