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ほんとうに欲しいもの
目から鱗とはこういうこと、という出来事があった。
いや、たいしたことではない。
日常茶飯事のたいしたことではないことだからこそ、普段と違う流れになったら驚きも大きかった出来事だ。

小学一年生の真ん中の子。
小学校生活にもだいぶ慣れたとはいえ、片道30分ほどを重たいランドセルを背負って行き帰りし、帰ってからも元気玉のようにエネルギーが尽きるまで跳ね回っている。
当然夕方はガス欠で眠いし、お腹はすいているし、疲れたしで機嫌が悪くなってくる。
もうすぐみんな帰ってくるから、あと30分でご飯だから、というところで毎日「おなかすいたー、疲れたー、もう待てないー」となる訳だ。

方や4ヶ月の下の子も夕方は機嫌が悪くなる、大人のわたしだって夕方はほっとして疲れが出てくるなか、ご飯の支度をしたり、お風呂に入れたり、なかなかに大変な時間帯だ。
そんな中の「お腹すいた」攻撃には、こちらもちょっとめげそうになる。
「もうちょっとしたらみんな帰ってくるからね」とか、
「じゃあ、このレーズンをちょっと食べててね」とか、
「ちょっとまえにおにぎり食べたじゃない!」とか、
まあそんなパターンが繰り返されていた。

ちょうど最近夫との会話の中で、してほしいこととか、欲しいものとかは
それがかなうことが一番じゃないのだなと実感することが何度かあった。
例えば、「今日はねー抱っこして出かけたら荷物がたくさんになって、すごく疲れて大変だった」という話しをしたときに、「それじゃあさ、今度から大変なときはタクシー使えば」とか、「ベビーカーで行けばいいじゃない」とか言ってほしい訳じゃないのだ。
「そうか、疲れて大変だったんだね」のこれだけでいいのだ。
そんな実感があったものだから、内心「あのはげしい攻撃にはさすがにきかないんじゃないか」と思いつつも、夕方の「お腹すいた」攻撃のときにこういってみた。

「そうか、お腹すいたんだね」すると、子どもは急に真顔になって、「いつも僕はそういってほしかったの」と言うではないか。レーズンをあげればもっと、とおかわりをほしがり、次にはおにぎりが食べたいだの、しまいにはもう待てない!とぐずぐず言い出すそのいつもの流れがぱっと変わって、わたしはほんとうにびっくりしてしまった。

そうか、ほんとうに欲しいものはレーズンでもおにぎりでもなかったんだよね。

自分自身のことでさえ、いまわたしがほんとうに欲しいのはになにかよくわからなくなることがある。小さな赤ちゃんとの暮らしは、眠れなかったり自由がきかなかったりすることも多い。ああ疲れたな、くたびれたなというとき、確かに体もぐったり重たいのだが、はてわたしがほんとうに欲しいのは休息なのかな、共感なのかなと考えるとたいていは共感のことが多い。
「そうだよねえ」の力は偉大だ。重かった体がすうっと軽くなって、力がむくむく湧いてきたりする。

子どもでも大人でも、男でも女でもいろんな場面でほんとうに欲しいものは、「そうだよねえ」のただ一言なのかもしれない。