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炊き込みご飯
 春はいろんな炊き込みご飯のおいしい季節。
たけのこご飯に豆ご飯、グリンピースでなくて空豆ご飯、あさりご飯。
こちらは炊き込みご飯でないけれど暖かくなってくるから、
のり巻きやらおいなりさんも食べたい気持ちになる。

秋から冬のしめじご飯や、かやくご飯、牡蠣ご飯なんかは
どうしても色味がお醤油のうす茶色の感じになってしまうから、
春のグリンピースや空豆のさみどり色が散らばったごはんを炊くと
こんな色のものがあったんだったと、毎年はっと思い出す気持ちになる。

週末、実家でいただいたたけのこでさっそく炊き込みご飯をつくる。
ありがたいことに、もう下ゆでした状態でいただいていたから簡単だ。
ごはんとなじむように、わりに小さめに、薄めにたけのこを刻む。
小振りの一本でも、いちばんしたの太いところと、切っ先の姫皮のところでは
包丁の刃先にあたる感じも、切っていく感触も全く違うのが面白い。

五月も半ばの台所はまだ朝の五時半だというのに、
暑いくらいの陽がつよく差し込んでいる。
家族はまだ誰も起きていなくて、陽はつよくてずいぶん明るい台所も
足下の方の空気はしん、としずかでつめたい感じだ。

たけのこと油揚げを煮て、研いでおいたお米に漉した煮汁と水を
加減して加える。
ご飯の鍋を火にかけて、フライパンを出して野菜を炒めたり、
豆腐と若布のおつゆの準備も始める。

家族がひとりふたりと起きてくる気配がして、
起きてきたひとりひとりが台所のわたしのところへ
目をしばたたかせながらやってくる。

炊きあがって蒸らしたのちに、なべのふたをとると
たけのこの香りとひとあしおくれた後に、盛大な湯気が立ち上った。
台所にはますますあかるい朝の光と、あかるい湯気が満ちている。

黄金週間
 ゴールデンウィークが5月なのは、そうしようと思ったからか
たまたまそうなってしまっただけなのかは分からないが、
ぴったりすばらしいあんばいだと今年初めて思った。
真夏だとぐったりして頭の中には避暑しか浮かばなそうだし、
真冬だとお正月やすみみたいな感じになってしまいそうだ。

地中から、空の低いあたりから、わっと湿って勢いのある
なま暖かいものがわき上がってきて、
音をたてるようにめりめりとやわらかくてくたりとした新緑が満ちる。

我が家は行列やら、渋滞やら、人ごみやらそんなものたちをさけて、
何か予定を入れないで過ごすのが常だ。

ゆっくり起きて、布団の中で小説の続きを読む。
朝ご飯をつくって、ついでにおにぎりもこしらえておく。
かごにおにぎりと水筒、ゆでたまごくらいを詰めて
そのへんに出かける。

あるいは、おいしいイタリアの食材を売っている店まで
散歩しながらみんなでぶらぶら行く。
生ハムの上等や、アンチョビバター、ちょっとめずらしいパスタ、
イタリアの白ワインなんかを買って帰り、ゆっくりお昼ご飯を作る。
ワインをあけて、グリルでいかを焼いたのをつまみながら、
サンドイッチをたくさん作る。
思う存分飲んで、食べた。

図書館に毎日行って、自分のうちの本棚みたいに
読んでみたい本を借りては、読んだ。
50個ほどもしゅうまいを作って、大きなせいろを蒸し上げては
食べ盛りの男の子たちがおなかがくちくなるまで
喜んで食べるのを見て満足した。

お休みの最後の夕方、散歩の帰りに
「ねえ、わたしたち日本で5本の指に入るくらいに
すばらしいゴールデンウィークを過ごしたと思うわ」といい、
細胞のすみずみまで栄養と力がゆきわたったような
この黄金週間をいとおしく、なつかしく思い返した。




ふらんす徒然
 ふらんす、と表記に惹かれる。
ちゅうごく、どいつ、にゅーじーらんど、ろしあ、いんど、えちおぴあ、
などなど他の国名もひらがな表記にしてみるが、
どうもふらんすほどのものが見つからない。
(えちおぴあ、はちょっといい。ぴちぴちしていそうで)

ふらんす、というとたぶんみんな真っ先に頭に浮かぶのが
永井荷風の「ふらんす日記」だろう。
そういえば、永井荷風にはほかに「あめりか日記」もあったけれど、
あめりかはいい線はいっているが、ふらんすほどではないように思う。

もうひとつわたしが思い出すのが、俵万智さんの歌。

○スケジュールうまく会わない今月はふらんすよりも遠いよあなた

この歌の要はやはり「ふらんす」で、
これが「フランス」という表記だったら味わいが全く違う。
たぶん俵さんは「ふらんす」という言葉を使いたくて、
この歌を作ったんだろうなと思う。
ふらんすよりも遠いよあなた、というフレーズがまず出てきて、
それにうまく会うことのできない恋人、という物語をつけてみて
できた一首なのではないか。

フランスには一度しか行ったことがない。
それもパリに一泊だけだった上、
ひどく駆け足にあちこちいかねばならなかったので
エッフェル塔も凱旋門もルーブル美術館もどこも行かなかった。

そのときに同行した妹が、数年前にパリに初めて行って
なんだか思ったよりおしゃれなパリジェンヌを見なかった、というので
歩きながら道ゆく女の人をすばやくパリジェンヌっぽいか、否か、
と判定する遊びをした。
こういう遊びのできるのは、やっぱり女同士のよさというもので、
男の人とはこうはいかない。

実家の両親が、仕事でフランスのカンヌに行ったことがあるという。
カンヌといえば、有名な映画祭のイメージだけれど、
あの華やかなレッドカーペットのイメージとは裏腹に
だだっ広い何もない町だったという。
そこでなぜかラーメン屋があって、そこで一杯1,000円もする
そんなにおいしくないラーメンを注文し、
スープを膝にこぼしてしまってたいへんだった、という
とりとめのない話しを聞いた。
そのせいで、カンヌと聞くと、何もない場所に赤い提灯のともった
ラーメン屋があるというひどく偏った絵が頭に浮かぶようになってしまった。

「ふらんす堂」という出版社がある。
歌集やら句集やらを専門に出版しているところで、
ここのホームページで、わたしの好きな歌人の小島ゆかりさんが
短歌日記を掲載されている。
毎日お弁当を食べる時間あたりで、思い出して見て、
ちょっと笑って、またお弁当を食べたりする。


アルゴリズムを組む
ふたつのことを同時にすることがひどく苦手だ。
アイスクリームをなめながら歩くとか、
傘をさしながら自転車にのるとか、
いとも簡単にやってのけている人をみると驚嘆する。

同時にいろんなことをやらなくてはいけない最たるものが
家事、というものだ。
子どものお弁当をつめながら、洗濯機をまわして、
ごみをまとめて、読み終えた新聞は片付けて、と
もういくつものいくつものことを常に同時にやらなくてはならない。

お弁当をつめているうちに、洗濯機のことをすっかり忘れて
洗濯機のふたを開けっ放しになっていて、洗濯がとまっていたり。
新聞を片手にあるいているうちに、あれ、どこにいこうとしていたっけ、
という具合でいつも家のことをしているから、
わたしにとって家事は結構な努力を要することなのだ。
少し前に、朝起きてからでかけるまでの間に
実に5時間近く家事をしていることに気がついて、びっくりした。

心身ともにぴんぴんしているときがそんな調子だから、
ちょっと具合がいまひとつになってくると、苦手度合いが増してくる。
そんなときに、やるのが「アルゴリズムを組む」こと。

「アルゴリズム」という言葉をはじめて聞いたのは
大学の情報処理の授業だったと記憶している。
あるゴールに向かって踏んで行く手段のことだ。

台所の壁の黒板(壁の一面が大きな黒板になっている)に
チョークで家事の手順を書いて行く。
ポイントは、ちいさなことまで書き出していくこと。
1、寝室の窓を開ける
2、食卓のお皿をさげる
3、台布巾を出してくる
4、食卓を拭く
5、洗濯かごを洗濯機まで運ぶ
6、汚れている靴下だけ流しで洗う
とこんな感じで書き出していく。
これが、皿洗い、洗濯、床ふき、などどしてしまうと
まず最初の皿洗いをするのにどうしたらよいか途方にくれてしまう。

だれに見せる訳でないから、ひどく細かなわたしなりの
アルゴリズムを組んで、ひとつひとつ終わるたびに消して行くと、
最後にはちゃんと家が整うという寸法。
アルゴリズム、という言葉を知った大学生のころから
このやり方をひそかに愛用している。
情報処理の先生は、まさか家事をするのにその言葉を使っているとは
思いもよらないだろう。


雛の匂い
 ベージュのうすいセーターを持っている。
とても細いゲージで編んであって、
雲のようにかろやかで繊細な様が気に入っている。

朝、ひきだしからそのセーターを取り出して
着ようとしていたら、そばにいた夫が
「ひな人形を箱から出したみたいな匂いがするね」と言った。
え、と手の中のセーターに鼻を近づけてみる。

蜘蛛の糸のごとくほそいウールが編まれている。
羊毛特有のすこし脂じみて、煙ったようなにおいが
編み地の間と間に、しん、と留まっている。
雛の匂い、とは言い得て妙である。

実家には、きちんとひな人形があった。
高かったから、ひな祭りが過ぎてからセールで買ったというそれは、
それでも緋毛氈の七段かざりで、出すもの仕舞うのもひと仕事だった。
いくつもの大きくて、きれいな箱をおごそかに母がひらくと、
うす紙が巻かれたお雛さまや、お道具の数々が現れ、
かすかにほこりと白粉のような脂じみた匂いがする。

古い空気をまとったようなひな人形が飾られた部屋は、
いちねんのその季節だけ、ほかのときよりも空気が動かないようだった。
夜中に、トイレに起きてそのまえを通るのがひどく恐ろしかった。

子どもを二人持ったが、どちらも男の子で、
わたしが箱から雛を出すことはない。
実家にはまだあの雛があるけれど、ちいさな女の子がいなくなったいま
箱の中に仕舞われたままだろう。

雛の匂いのセーターに袖を通しながら、
小島ゆかりさんの歌をつぶやいてみる。

○われにふかき睡魔は来たるひとつづつ雛人形(ひな)を醒まして飾り終ふれば