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あたらしい本棚

最近、リビングにわたしの本棚ができた。リビングには大きな作り付けの棚があって、そこにわたしの本、子どもの本、文房具や、雑多なもの、書類、置物などなんでも置いていた。なかなかいい棚なのだけれど、奥行きがたっぷりしているものだから、本を入れると深すぎる。本もどんどん増えていくものだから、ついには三層に本を入れるようになって、奥の本はいったい何だったかわからなくなっていた。

 

そこで「本棚が欲しいなあ」と言ってみたら、本棚を家人が作ってくれることになった。置きたい本のサイズ、冊数、場所や、棚のイメージだけ伝えたらあとは大船になった気持ちでいよ、とのこと。あれやこれや条件や値段を比べて買い物をするのが苦手なわたしは、もうそれはただ楽しみなだけで本棚の完成を待った。

 

作る、とはいってもごく簡単なものだ。本を並べて出し入れしやすければよいので、レンガに板を載せたものを作ってもらった。幅や高さを慎重にきめて、一段の高さも計算をし、板をカットし、ペンキで塗る。自分でなにかをこしらえるのは楽しいものだが、自分のためにすてきなものを誰かがせっせと作ってくれるのを眺めるのはうれしい。

 

想像以上に素晴らしい本棚が、リビングの一角に据えられた。ぎゅうぎゅうにしまっていた本をみんな出してやって、本の上に溜まっていたほこりを払うと、本が息を吹き返したようだ。この本のとなりはこれ、この並びはこんな風にと本を並べていくのも楽しい。通りすがりに目についた本をひょいっと手に取り、そのままソファにごろりとするのも格別の贅沢な気分だ。そして本の、言葉の森のなかに深く潜っていくのだ。

 

〇風。そしてあなたがねむる数万の夜へわたしはシーツをかける  笹井宏之『てんとろり』

 

春の手紙
手紙が好きだ。ポストに自分の名前が手書きされた封筒やはがきが入っていたら、きっとだれもがこころ踊ると思う。
メールなどではなかなかここまでうれしくはならないと思う。

〇白い手紙がとどいて明日は春となるうすいがらすも磨いて待たう 斎藤史

春は手紙がいちばんしっくりくる季節ではないだろうか。春は草木が芽吹き、色のなかった季節にいっせいに色彩が生まれる季節。あたらしい何かが届く、はじまる、動き出すという手紙のイメージと重なる。「白い」手紙、「うすいがらす」というひらがな表記が清浄でみずみずしい感じがする好きな一首だ。

手紙は、よく書く方だった。中学生の時、重い病気で一年間病院のベッドの上で過ごした。携帯電話などないころだったから、外の世界とやりとりするには手紙を書くしかなかった。その一年間に書いた手紙、受け取った手紙は大きな段ボールにいっぱいの分量ほどだ。

〇果てしなき未来を載せむ一通の手紙の白さ朝にかがやく 美衣

そのころに作った一首。はっきりと認識はしていなかったが、そのころわたしにとっての手紙は外へのパスポート、未来への切符のようなものだったと今では思う。

仕事に、子どもたちの世話に、家のことと毎日ばたばた過ごしている今は、なかなか手紙を書く余裕がない。最近はもっぱらはがきを書くことが多くなった。はがきはほんの数分で書けて、それ一枚で出せるから気軽である。

はがきは学生のころから鳩居堂のものを愛用している。季節の草花をシルクスクリーンでうつくしく描いたシリーズばかり以前は愛用していたが、最近気に入っているのが簡素に枠と罫が入っただけのもの。罫の色が何種類もあり、季節や気分や宛先によって「今日はこの色にしよう」と選ぶひそかな楽しみもある。絵がないので文字もたっぷりかけるのもうれしい。
 
子どもと野菜と包丁と
割合に薄切りやら、千切りやらが得意だ。キャベツの千切り、お正月の紅白なます、きんぴらごぼうは歯触りよく、うつくしくと心の中で念じながら包丁を握る。

野菜を刻むのに一番なのは、やはり菜切り包丁。実家ではだいたいはステンレスの牛刀を使うことが多かったが、結婚して夫の母が使っていた菜切りを貸してもらったら使いやすくて気に入った。しばらくのちに、たまたま近所のスーパーでの有次フェアで買い求めた。わたしの手持ちの包丁はステンレスの牛刀、ステンレスのペディナイフ、パン切りとこの菜切りの4本だ。

たいていはペディナイフで肉でも魚でも野菜でも切ってしまうが、やはり野菜を切るのは菜切りがもっとも適している。薄切り、千切りの類はもちろん、里芋の皮をきれいにむく、かくし包丁を入れるときなど、なんてことないようなときにもやっぱり使いやすい。名前のとおり、菜っ葉を刻むのもきもちよくいく。

買ったときには鋼の包丁をきちんと自分で研げるだろうか、と心配だったが年月とともに多少上達しているように思う。月に一度くらいだが、ちょっとした時間の合間に砥石を出して、菜切りとペディナイフを研ぐ。しょーり、しょーり、しょーりと一定のリズムで研いでいると、明日からの家のご飯がおいしくできる気がしてくる。また、昔話の山の婆のようになにやら魔術めいた気持ちもしてきて、楽しい。

よく切れるようになった包丁を新鮮な肌の張った野菜に当てると、一瞬わたしも野菜も身のすくむ気がする。その一瞬ののち、鮮やかに野菜は切れているのだ。うちの一番小さな子が料理をするとき、自分の椅子を近くに引きずってきて、一心にわたしの手元をのぞき込む。赤いトマトを半分にすれば、そこにはどろりとして粒を含んだ種があり、茄子を切れば濃紫の肌から想像できない色っぽい白さ、ピーマンは小室のような空洞が広がっていて、自然の造形はなんと不思議でうつくしいことだろうか。

○はりつめし茄子のはだへに刃を当てつ右の耳朶すくみてゐたり
○トマトあか、なすは白くてピーマンはからつぽだねえ、ねえおかあさん  美衣


 
おまへはトマト
今年の夏、16歳の長男が自転車ひとり旅に出た。神奈川から広島までなんとか8日間でたどり着き、久しぶりに会った息子は真っ黒く日焼けして、二回りほど痩せていた。

大変だったからもう自転車の旅はしたくない、と言っていたが、この冬休みまた出かけるという。今度は自転車好きの部活の先輩と二人で京都を目指す計画で、仲間がいるのが楽しいらしくいそいそと自転車のメンテナンスをしたりしている。

思春期のころというのは、いつもやわらかな不発弾をかかえているような感じがして、夏の頃のことも思い返すと、意識はしていなかったけれど、わたしの内心はああ、あれやこれや心配やら緊張やらしていたのだなとわかる。それは今も同じではあるが、いろんなことは絶えず形を変えて変化していて、そのときそのときというのはいつも一瞬のことだ。

自分の作った歌を読み返すと、どんな歌でもそのときそのときの空気が立ち上ってくる。長男の自転車旅行のころの歌を昨日の晩ひさしぶりに読み返したら、夏の熱く、ひりひりとした気持ちが鮮やかによみがえってきた。

○菜箸を片手に立ちつくすのみ吾子の放ちし二、三の言葉に
○「昨日から学校行っていないんだ」風呂上がりの子ふいに呟く
○わたくしの何かを分けてやることはもうできぬのか毛布のやうに
○声ひそめ鬼が来るよと言へば子が泣き止みてゐた近く遠き日
○「勉強をする必要がわからない」十代の言いさうなことを言ふ
○トマトとまとあかくまあるくてのひらに収まりてゐたおまへはトマト 美衣
鞦韆
鞦韆(しゅうせん)、ブランコのことである。

鞦韆という言葉を知ったのは、短歌の中だった。(そういえば詩歌以外で鞦韆という言葉を、会話の中でも、小説や随筆のなかでも目にしたことがない)

○さ庭べに夏の西日のさしきつつ「忘却」のごと鞦韆(しうせん)は垂る  宮修二『晩夏』

宮修二の上の歌では、乗る人のないぶらんこがただ垂れ下がっている様子が、かぎかっこつきの「忘却」と歌われている。西日の射す夏の夕方のものさみしい様子がよく出ている。ぶらんこ、ブランコではこの歌の感じが出ないだろう。ここではやはり鞦韆という言葉がふさわしい。

○鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女『白骨』

上の句では、それまで俳句はカメラのシャッターを切るようなイメージだったのをかるがると覆された。「愛は奪ふべし」という歌いかたは、短歌のようだが、このきっぱりと強い断定のリズムは5・7・5の形式だからこそだろうと思う。ここでも、「ブランコは漕ぐべし」ではまったく違う趣になるのは明白で、鞦韆という言葉が生きている。

わたしの家の庭には、小さなブランコがある。真ん中の子の誕生日に、わたしの母が贈ってくれたものだ。子どもたちだけでなく、わたしもときどきブランコを漕いでみる。

つらい気持ちになったとき、忙しさで苦しくなると、家を出る前の慌ただしい時間の合間にちょっと乗る。ものの1分ほどの、短い時間である。ブランコを漕いで、庭に植えている小手毬やライラックの緑が揺れながら目に入ってきて、上を見上げると空が広がり、山の緑が迫り、遠ざかりてゆく。そうすると、わたしの大変さなどもう大したことはないのだとわかる。思える、というのでなく、すとん、と腹に落ちてわかるように感じる。

そんなときには、わたしはいまブランコではなく、鞦韆を漕いでいるのだと思う。鞦韆という言葉があって、よかった、と思い、空をゆっくりいく飛行機を見つけて「あ、ひかうき」と心の中でつぶやく。昔の言葉や旧かなの表現がしっくりくるときは、現代にもちゃんとある。